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女武芸者―女性と薙刀

執筆者の写真: Fine Ladies Kendo WorldwideFine Ladies Kendo Worldwide
カーティス・アブ著

FLKWW訳・編


はじめに


日本の歴史における女武芸者の役割は、私にとって大変興味深いトピックです。女武芸者を題材にした文学、演劇、芸術作品は数多く存在し、その偉業を描いています。時代にもよるが、女武芸者も男武芸者と同じように、戦に適した鎧を身につけたり、簡素な着物を着ていたと言われています。女性は必要や状況に応じて、さまざまな種類の武器を使いこなしました。この連載では、女武芸者にまつわる様々な話題を、人物像から得意とした武術まで紹介していきます。今回のテーマは、まず女性と薙刀[1]という武器との関係について紹介します。女性といえば薙刀というイメージが定着した時代や、そこから派生した虚実を簡単にご紹介します。


『誠忠義心傳』より「大星良雄内室 石女」。薙刀を振る石女が描かれている。 歌川国芳、1848年作。

『誠忠義心傳』より「大星良雄内室 石女」。薙刀を振る石女が描かれている。

歌川国芳、1848年作。


歴史考察

女武芸者と薙刀の関連が最もよく見られるようになるのは、徳川幕府が発足し、長い戦乱から平和な時代を迎えた江戸時代(1603-1868)である。徳川家に対抗する勢力が現れないように、戦場で使用される武器の所持と使用が禁止された。薙刀は、刀と同様の長さの刃を、長く頑丈な棒に取り付けたもので、戦で使用される大型の武器とされていた。そのため、「薙刀直し[2]」などの厳しい規制を受けていた。多くは短刀に転用されたが、平和な時代を迎えた多くの地域では、薙刀を活用するための新たな道が開かれていた。 武家に生まれた者は、護身のため、また代々伝わる武術を伝承するために、様々な武術の訓練を受けた。ある例では、屋敷を盗難などから守るために、腕の立つ剣客が妻や娘、若い女性に薙刀を教えた。それらは、最初は戦で使われていた技術そのものであったが、徐々に室内で鎧を着用していない敵にも使えるよう改良された。薙刀は、刀に比べて長く、軸が長いのでバランスが取れているため、護身用として女性に好まれるようになった。このことから、女薙刀、或いは女性薙刀と呼ばれるようになった。


薙刀術を伝承する武術体系の中には、女性用に改良されたものもあり、元々の技術が広い場所で大きな振り幅を必要としたのに対し、女性が使用する薙刀は室内で使用するために小型化された。このようにして、まったく新しい薙刀の体系が開発され、独自のものが生まれていった背景がある。そして日本の武道史では珍しく、女性を師範とすることとなった。その一例が、1620年代に柳河藩の城下に住む女性たちの護身術として始まった楊心流(ようしんりゅう)薙刀術である。現在、楊心流薙刀術は、第13代宗家・小山宜子[3]がトップに立ち、女性の修行者に質の高い訓練を提供するために積極的に制度を維持している。


女流薙刀は、時代とともにいくつかの変化を遂げた。まず、明治時代には、撃剣(竹刀と防具を用いた剣術で、現代剣道の前身)と一緒に競技用の薙刀が開発され、全国各地の撃剣興行で見られた。女性は木薙刀で参加し、撃剣の男性と腕を競うこともあった。例えば、北辰一刀流兵法の千葉道場を運営していた千葉定吉(実名は政道)の娘、千葉佐那子[4]がその一例である。佐那子は北辰一刀流小太刀術の唯一免許皆伝を受けた者であると同時に、薙刀にも長けていた。東京・深川にある千葉道場に訪れた道場破り全員を打ち負かしたと言い伝えられている。


木薙刀を持った千葉佐那子が撃剣を相手に戦っている様子を描いたもの。月岡芳年の「千葉撃剣会」3枚組の木版画、1873年作。

木薙刀を持った千葉佐那子が撃剣を相手に戦っている様子を描いたもの。月岡芳年の「千葉撃剣会」3枚組の木版画、1873年作。


女性の薙刀術は、明治時代以降、競技武道としてさらに発展していった。競技武道では、動きや打突部位に多くの規定が設けられた。このような薙刀術が標準となり、一部の学校では、若い女性が身体を鍛えるだけでなく、規律を学び、精神を磨くための体育の授業として導入された。これに貢献したのが、直心影流薙刀術第15代宗家の園部秀雄(1870年4月18日~1963年9月29日)である。園部は1800年代後半から1900年代前半にかけて、姫路師範大学(後に兵庫師範大学に改称)、大阪教育大学、学習院女子大学など、日本各地の学校や施設で指導者として薙刀を教えた。


第二次世界大戦で日本が敗戦し、しばらく武道が禁止された後も、女性薙刀は時代とともに発展していった。戦闘的な要素をほとんど排除した薙刀は、スポーツや健康維持を目的とした女性向けのものとなった。近代になってからは、全国の薙刀競技や形を統括する組織である「全日本なぎなた連盟」の基準に合わせて発展していった。現在は「新しいなぎなた」と呼ばれ、女子高校生が部活動でなぎなたを学び、他校との試合などを提供している。主に竹製の薙刀を使用し、防具(面、胴、小手、脛当)をつけて、なぎなた対なぎなた、あるいは最近ではなぎなた対剣道の異種試合が行われている。なお、「新しいなぎなた」はまだ若い女性のイメージが強いが、若い男性も学び、試合に出場できるようになった。


真実と嘘の考察

女武芸者の歴史と薙刀の関係を簡単に説明したので、女性と薙刀のイメージにまつわる真実と虚を説明するポイントを見ていこう。


1184年の粟津の戦いで、内田家吉(左)と戦った巴御前(中心)を描いた木版画。巴御前が馬上で薙刀を振りかざしている様子が描かれている。楊洲周延、1899年作。

1184年の粟津の戦いで、内田家吉(左)と戦った巴御前(中心)を描いた木版画。巴御前が馬上で薙刀を振りかざしている様子が描かれている。楊洲周延、1899年作。


1)薙刀は女性が使う武器である

現代の日本社会では、そのような傾向が見られるが、一概にそうとは言えない。戦が多く、日本がまだ統一されていなかった時代には、武士(男性)が薙刀(長刀)を多用していた。薙刀は非常に重い武器で、そのリーチと大きな切り口で、歩兵や騎兵に対して有効であった。徳川幕府の時代になり、大きな戦がほとんどなくなってから、長刀の役割は戦の武器から護身用の武器へと変わっていった。この時代、刀は武士が誇る主要な武器となり、多くの武士は剣術に移行した。女性は刀を持つことが許されなかったので、他の武器である、薙刀を学んだ。


2) 薙刀術は女性のためにある

これも全くの嘘ではないが、真実でもない。女流薙刀と呼ばれるものは、数々の観点から女性のために作られたものである。まず、女性が使用する薙刀は、男性が戦で使用する薙刀よりも短くて軽いので、より早く切ることができ、操作も容易である。この種の薙刀を「小薙刀」と呼ぶこともある。当時の女性は着物を着ていたため、足を大きく開くことができなかったので、薙刀に合わせた動きを身につける必要があり、着物に合わせた小刻みな動きと、素早い体の回転を使った機敏な動きが必要となった。男の薙刀術は「男薙刀」と呼ばれ、戦で鎧を付けた敵と戦うための技が残っている。しかし、日本では「男薙刀」はあまり普及しておらず、公にはされていない。香取神道流、枝垂柳流、九鬼神伝流など、一部の古武道に見られるのが一般的である。


3)女武芸者は戦で薙刀を使った

これは過去の女侍だけでなく、現在のポップカルチャーに見られる女侍に対する一般的な視点を指している。江戸時代以前では、女武芸者が薙刀を持って戦に出陣する姿が描かれることが多かった。これは小説や漫画、ゲームなどに見られる。このイメージに大きく貢献しているのが、1700年代から1800年代に普及した浮世絵である。浮世絵師の多くは、社会や歴史からテーマを得て、それをよりドラマチックに描くことで、作品を視覚的により魅力的に仕上げていた。浮世絵は見た目が美しい反面、正確さに欠ける傾向があると言っていい。例えば、浮世絵には巴御前という有名な女性武将が描かれている。鎧を身にまとい戦に参加するだけでなく、男性にも負けない実力を持つ日本女性の代表的存在である。しかし、彼女が実際に使用した武器については、ひとつの誤解があると言えるだろう。史実では、巴御前は最後の戦いでは刀で敵を倒したとされている。しかし、上の楊洲周延の浮世絵では、同じ場面が鮮明に再現されているが、巴御前は薙刀を持っている。薙刀に変更されたのは、当時、女性が薙刀術を習うという風潮があったからかもしれない。


おわりに

最後に、女武芸者は薙刀を使って強大な力を発揮することに成功した。女性たちは、護身術としてその有効性を発揮し、競技ではその優れたリーチを活かした。女薙刀が武道からスポーツ中心の体系に変わっても、女性たちは昔と同じようになぎなたを学んでいる。


今日のテーマを楽しんでいただけましたか?今後も女性侍に関する記事をお楽しみに。


(このコラムの原文は英語です。著者のサイト Light in the Clouds 上で2017年4月17日付に掲載されたものです。日本語版への翻訳は当マガジンによるもので、必要に応じて脚注を省略・追加しています)


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1) 「なぎなた」には「長刀」と「薙刀」という2つの書き方がある。1つ目は古い書き方で、「長い刃のついた武器」を意味します。2つ目は、最近よく使われているもので、「殺傷力のある刃物」を意味する。どちらも同じ発音である。(和訳追記:昭和30年全日本薙刀連盟発足後、昭和39年全日本なぎなた連盟と改称、これより現代武道として使われる場合は一般的に「なぎなた」と統一表記している)


[2]薙刀直しとは、多くの薙刀の刃を鍛え直して、刀のようなものに拵えなおしたことを言う。通常は短刀に拵えなおした。そのため、1600年代以前の薙刀はほとんど存在しない。


[3] 日本古武道協会ウェブサイト参照http://www.nihonkobudokyoukai.org/


[4] 当マガジン掲載の「千葉さなについて」、「女剣士・治療師、千葉佐那」も参照。さな、佐那とも。


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カーティス・アブ


ニューヨークで生まれ育ち、8歳から格闘技を習う。アメリカと日本で様々な武道を学ぶ。現在はトレーニンググループ「Chikushin」を経営しながら、自身の技術向上を目指している。

12歳から日本語の勉強を始める。社会的・歴史的なテーマを学び、日英翻訳を始め、フリーランスとして営利・非営利プロジェクトの活動をしている。

余暇には、 日本文化、武術の伝統、歴史についての理解を深めることを目的に、関連記事を執筆、ブログページ「Light in the Clouds」にて発信している。

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